憂鬱の日曜日:サボりと精神的な負担
日曜の夜の憂鬱。
これに対処する方法はないのだろうか。
本当は月曜日はテレワークにしたいんだけど、それやると私の性根(サボリスト)が周知のことになってしまうので、具合が良くない。サボりにくくなってしまうのだ。
能ある堕落人は不精を隠す。。ちょっと違いますね。
とにかく、月曜はまあ、たまにはサボるにしてもいつもできるわけではない。
大体月曜は仕事が溜まっているのだ。くそどうでもいい仕事(笑)が。
いっそ酒でも飲んでみるかとも思うけど、それじゃあ、問題を先延ばししているだけだ。
私の好むところではない。
大体、会社のことが脳裏から消えてないから憂鬱になるのだ。
まったく、恥ずかしいことだ。私の頭に、プライベートの時間に、
会社のことが脳裏に浮かぶなんて。
会社と私はあくまでビジネスの関係であるべきなのに、これはおかしい。
私はあくまで私の時間を切り売りしているだけなのだ。
売っている時間以外はちらとでも会社のことなんか脳裏に浮かべるべきではない。
そんなことは宇宙の果てにでも行っているべきである。
違った宇宙でもいい。宇宙じゃなくて全くことわりの違う世界のどっかに
所属しているべきなのである。
大体、勤務時間外での緊急電話は会社の甘えじゃないかなと思う。
頑として無視すべきである。
話が少し横に逸れてしまったが、日曜日の憂鬱を軽減する方法は
1:休日の会社からの連絡は全て無視すること
2:何しろ、全力で遊ぶこと
3:休み明けのことは考えない
かなと思っている。
3については、私は(これを書いている時は考えてしまってるが)基本的に
休み明けの仕事のことについては全く考えないようにしている。
いくら仕事が溜まっており、ピンチな状況だとしてもだ。
それは、それ、これはこれの精神である。
切り売りした時間の中でピンチだったり、困ればいいわけだ。
その時間に私がどうなったところで、
世界が終わったり、止まったりするわけではないのだ。
自由な夜の響き
サボると言ってもやはり休みととってサボるには限界がある。
私は基本的には他の人に迷惑をかけないように(気づかれないように)サボる日に向けて着々と準備を進める。集中して働き、残務をほぼ無くしてからサボる。それでこそ、気持ちが自由になるからだ。
しかし、嫌な仕事に集中して取り組んだり、そもそも有給休暇にも限りがある。
そこで深夜だ。
タイミングは土日休みの場合、木曜日くらいがいい。木曜日疲れても金曜日は適当に仕事をこなして、次の日はお休みだからだ。一日くらい眠くたって超適当にやればいけちゃうもんである。私の実行している内容は以下だ。
配偶者や子供が寝静まった1時くらいから、Youtubeでローファイ・ヒップホップを聴いたり、レコードを聴いたりしてリラックスタイムを作る。お酒は飲まない。強い人はいいが、わたしはどちらかというと眠気が来るタイプだ。眠ってしまってはせっかくの滋養が削がれてしまう。
夏だったら冷たい炭酸水や麦茶を飲みながら、ちょっと窓を開けて月や少し遠くに見える
揺れる椰子の木を眺めながら考える。ありし日のこと、これからのこと、付き合った人のこと、つきわなかったけど、デートした人、その思い出。
深夜を縫うベース音や回る円盤状でループするビートを聴いていると、そんな色々が泡みたいに綺麗にふわふわと浮かび、夜の冷たさの中にさらされ確かな重みを持つ。
そんな時、私は私であり、リアルはリアルで、自由であることを実感するのだ。
制限をなくし、忘れた時、見えない鎖は消え去っている。
仕事サボってビール!ビール!ビール!
私は仕事が嫌いだ。いや、「仕事」は嫌いじゃないな。日々自分に課している「仕事は」嬉々としてこなしている。会社勤めが嫌なのだ。
時間を切り売りしている感覚。そして、それなしには生活できない。つまり首根っこを掴まれて何も言えない感じ。何か間違っているよな。と私はいつも思う。
もちろん、間違っているのは私かもしれないんだけど。
まあ、いいや。
私は会社が嫌いだけど、役に立つなと感じる瞬間も
それは会社をサボった時に感じる快感についてだ。
あれは、普段の会社での苦行があってのものだと思う。
意味のない作業、意味があるように求めてくる部下、上司。風通しの悪い社風。火花を散らすセクショナリズム。横行するパワハラ。。。要するにカタストロフィの度合いによってカタルシスの質が変わる。(lカタカナ語を使ってしまった。これじゃあ、ビジネスセミナーの登壇者と変わらないじゃないか。。)
と言うのは置いといて、会社をサボって昼から飲むビールより気持ちいいものはない。
これに関して言えば突然がいい。つまり、あらかじめ計画をしないってこと。
家を出た時、いつもより湿気のあるモワッとした風が吹き、遠くに海鳴りが聞こえ、
あまつさえ、塩の香の幻臭を感じたのであれば、それがサボりビールに最適な日だ。
そうなれば、あなたは会社に電話をかけるべきである。
「出勤途中で嘔吐したため休みます」 これは嘘じゃない。
だってあなたが私と同じように会社勤務が嫌いなのであれば毎日吐瀉しているには
変わりないから。
電話をかけたら、ネクタイを緩めていつもとは逆方向の電車に乗るもよし。
家に帰ってシャワーを浴びて顔を洗い、リラックスした格好でサンダルを引っ掛けて出かけるもよしだ。
行き先は てんやでもいいし、 立ち食い蕎麦屋でも ガストでもサイゼリアでも
昼からやってる居酒屋でもバーでもなんでもいい。 ちょっと涼しい店内がいい感じだと思う。
そして軽めのつまみを注文した後、やおら生ビールを飲む。舌で転がさず、喉で味わう。
いつもの何倍も美味しい。
飲みすぎてはいけない。せいぜい2杯くらいに抑えておく。
店を出た後、水浸しの感覚があれば大丈夫だ。
僕や、あなたは自由だし、どこにでも行ける。プロローグがあればいい。
まじでさ。
ストレスとの戦い:サボリングから趣味の発見へ
こんにちは。サボってますか?
私はサボるのが好きと言っても、やはりそれほどはサボれてません。
新しいプロジェクトやらなんやら、どこぞで不具合が発生してなんちゃら。。
サボれなすぎて仕事時間外も仕事のことを考えると言う、
およそ座右の銘 人生=モラトリアムを標榜する私とは思えない日々が続いています。
ストレス・マックスな日々が続いた私は何故か釣りを始めました。
おそらく、私の中での生命維持装置が起動し、狂った回路を辿ってその結果に
辿り着いたのでしょう。。。
子供の頃、糸が絡まるのが嫌で辞めてしまった釣り。
私は当初不安でしかありませんでした。
だが、その不安がいい。その不安が仕事への集中を妨げてくれる。。
初めて行く釣具店、 見知らぬ用語(タックル?ショア?)、
堤防釣りで隣に寄せてくる暇で嫌がらせをしてくる常連老人、
釣れなくて何か根本的に釣具が間違っているんじゃないかと言う疑念。。
そんな様々な状況が私を自由にしてくれる。
アフリカの草原にパンツ一丁で放り出されたみたいに。 と言うのは大袈裟だけど。
んで、まあ、寝ても覚めても釣りのことを考える日々が始まった。
寄せてくるあいつには一回言ってやらないとな、何故釣れないんだろう、
アジングをしたい。。。youtubeでの動画漁り。
この間、テレワークの申請をして、何かしらの理由をつけて早退し、
夕方の凪いだオレンジ色の水面がゆたう釣り場に降り立った時、
私は7割ほど回復していることに気づいた。
今度は衝動的に2日間休みを取り、朝から平日のフロンティアに降り立ちたいと思う。
その時、私の四肢は一時的ではあるが重い枷から外されて一時の修復に至るだろう。
なんだ、この文章。
会社が嫌いな私の自由な生活
私は会社が嫌いだ。会社でする仕事がとても嫌いで本当に苦痛でならない。
毎日念仏みたいに通勤途中に「辞めたいやめたい辞めたい」と唱え続けている。
なんだか、いろんな記事やnoteなんかを見たりすると、会社の仕事を嬉々として
実施している人たちな感じの記事がたくさんある。そんなのばかりだ。
それが本当かなんなのかはわからないけど、とにかくそんなものばかり見かけていると、
自分が少数派のようにも思えてくる。
でも、すごいよなあ。ああ言う人たち。いろんな意味で。いや、本気だとしたら。
そう言う面では勝てないよな。と思ってしまう。勝つつもりもないんだけど。
まあ、時々会社でカタカナのビジネス用語が飛び交っているとミーティング途中に
急におままごとみたいに思えて笑えてきちゃうことはあることは事実だけど。
まあ、いいや。かく言う私も色々隠して働いている。
会社は学校ではない。
心臓を掴まれれば、家族が途方にくれるからだ。
まあ、そんな大袈裟なものでもないんだけど。
それでまあ、あんまこん詰めて通っていると、ああ、やばいなこりゃってなる。
そうすると、私は会社に電話をかけ、通勤電車を反対方向に乗り込み、
フラフラと遠くに旅ってほどのもんじゃないけど、旅に出る。(サボる)
山の方に行ったり、知らない街で降りてみたり。
罪悪感は感じちゃいけない。それはマイナスになってもプラスの意味にはならない。
そして私は
牧場やら、喫茶店やらでソフトクリーム(もしくはメロンクリームソーダ)を食べる。
これが本当の生活ってやつだよなって思う。
私は私であり、当然会社ではない。私はいつでも自由になれるのだ。


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